演奏者の独り言

〜今回の公演に際して〜

プログラムをこんな端までご覧になってくださりありがとうございます。

自分一人でリサイタルを開催するのは実は今回が初めてで、それなりの覚悟を持って開催を決めたつもりです。
その思いを「独り言」という形でここに綴ることにしましたので、休憩中や開演前、よろしければ終演後にでもお時間があるときに読み物としてお読みいただけると、私がどんな思いで今回のコンサートを皆様にお届けしているか少しだけ伝わるかもしれません。
長くなってしまうかもしれませんが独り言なので…という言い訳を。。。

大学在学中より色々な楽器や声楽の方と共演し、コンサートに出演させていただくことも多くありました。
その度にありがたいことに、私の演奏を気に入ってくださる方がいらっしゃり、ソロでの演奏会開催を提案してくださりました。

いつも、果たして自分の実力で1人で良い演奏会を完成させられるのか、またお客様に来たいと思っていただけて、喜んでいただけるのか不安で、実現させられずにいました。

そんな中重い腰をあげ開催を決心したのは、偉大な先輩方が定期的にリサイタルをされているのを見ている内に、自分はやらなくていいのか、という気持ちに苛まれました。
そして公演当日には32歳になっている予定なのですが、卒業し活動しながら年を重ねるに連れ、一度もリサイタルを自分で開催しないままで良いのか?という思いも生まれました。
色々なご縁もあり、やりたい仕事が決まったり大変な曲を日々やったりする中で、今やらないともう一生やれない気がする、と。

また、伴奏やアンサンブルしか弾かなくなった時期、自分の技術の劣化を感じました。
もちろん、音楽的に成長させていただくことは非常に多くかけがえのない機会だったのですが、ソロ作品を必死でやる機会がなくなることの怖さを痛感しました。

定期的にソロのコンクールに出場し技術の維持に努めてはいましたが、年齢制限のあるコンクールも多く、また自分の準備する容量の限界があり、同じ曲で望むことも多くありました。

そうした中で、このようなコンサートを開催することで自分の愛する曲を皆様にお届けでき、自分の必死でやる機会にもできると感じ、開催に至りました。

今回選曲した曲は、本当に自分が心よりいい曲だと感じお客様にお届けしたい曲たちであり、そして自分にとって非常に大切な曲たちです。
大学院の修士演奏でも、ブラームスの「ピアノソナタ第三番」とラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」を演奏しました。
この二人の作曲家は、私の人生でとても大切な二人で、二人の作品は心の内を表現できる曲だと感じます。

楽曲にも、お世話になった方々や共演くださった色々な方々にも、感謝を込めて演奏をお届け出来たらと思っています。

〜プログラムに関して〜

さて、楽曲や作曲家についても思いを書きたいと思います。短い曲目解説にはとても書ききれないので。
それは自分の備忘録でもあり、愛している曲たちだからこそ共有したい気持ちもあり…。

ラヴェルとブラームスという二人の作曲家については、国も時代も違いますし、作品自体の持っている重さも真逆だと思います。一見共通点としてはあまり見いだせないかもしれませんが、私は実はそこまで遠い作品ではないのでは?と感じています。

というのは、二人とも自分の作品にかける思い、そして先人へのリスペクトという点で似通っているように感じるのです。
自己批判をし、音を追い求め、そんなところが作品から溢れ出ているようで。

ブラームスがベートーヴェンを尊敬するあまり交響曲の第一番を40歳過ぎまで書き上げられなかったことは有名な逸話です。
しかし、ブラームスのソナタを弾いてすごく感じましたが、一番ソナタが作品番号1、二番のソナタが作品番号2、そして三番が作品番号5です。しかも三番を書き上げたのはなんとわずか20歳。
あの長大な、ほぼ交響曲とも言えるようなソナタを20歳で書き上げておきながら、実際の交響曲は43歳まで完成させられなかったという思いの強さ。恐るべし。

そのためブラームスの交響曲4曲はどれも傑作となり現在も演奏される名曲ですが、その思いは他の作品にも詰まっているように感じます。
ヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタには名曲しかありませんし、そんな彼が最晩年に作曲したクラリネットソナタは至高の作品だと思っています。

そんな彼はせっかく作曲した作品を何曲も気に入らないという理由で破棄していたそうです。これだけの作品を作れる人なのに、いや、だからこそなのかもしれません。

ラヴェルは私が最も敬愛する作曲家です。
彼の宝石箱のような音使いにいつも魅了され、また時計職人とも評された細部へのこだわりが本当に素晴らしいと思います。

彼は「良い学生」ではなかったようです。が、彼の信念をもって生きていたように感じます。

既に活躍し始めていた中で作曲コンクールの予備予選で落とされるという所謂「ラヴェル事件」、2つの旋律のみを16分間繰り返す「ボレロ」、作曲仲間にも遅すぎると言われた「亡き王女のためのパヴァーヌ」。
彼の信念がなければ、それぞれ事は何も起こらなかったことでしょう。

おそらく二人とも自分の作品を愛し、ですが自分をどこか愛せなかったのでは?と勝手に想像しています。
晩年、自分の名前さえ書けなくなってしまったラヴェルは、自分が書いた作品を耳にした時、「素晴らしい、誰の曲だい?」と言ったそうです。

ところでいつも演奏会でラヴェルを演奏する度に、「ラヴェルお好きですか?」と聞かれてしまうのですが、やはり愛は滲み出てしまうものなのでしょうか。?
他の作品も愛しているつもりなのですが…

大作曲家でも多くは、素晴らしく才能を発揮できる分野と、そうでない分野がある気がします。
全てが傑作のこの二人の作品、心して演奏したいと思っています。

〜各曲について〜

・J.ブラームス 創作主題による変奏曲 作品21-1

プログラムにも書きましたが、この曲は事前情報を何も知らずに聞いたときに、作曲家が20代で書いたとはまるで想像できない曲だと思います。
派手な部分も多くなく、テーマからして味があり弦楽四重奏曲を思わせる、正にいぶし銀の曲とでも言えるでしょうか。

12の変奏からなっていますが、ブラームスはそれまでの流れからの変革として、テーマの旋律からの脱却を掲げています。
確かに、各変奏に明確なテーマの旋律が見えるところはあまりありません。
しかし和声や世界観をテーマから引き継ぎ、それがどんどん変化していく、本当の意味での「変奏曲」なのかもしれません。

ブラームスは管楽器との室内楽曲をあまり書いておらず、最晩年に書いたクラリネットソナタ2曲、クラリネット三重奏曲と五重奏曲、ホルンとピアノ、ヴァイオリンのための三重奏曲のみです。
弦楽器にはピアノ三重奏曲、ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、弦楽四重奏曲などがあり、使われている楽器達を見ると彼がピアノ曲に思い浮かべる世界や音楽が見えてくる気がします。
弦楽器やクラリネットの木の響き、ホルンの自然の中で鳴っている森の響き、そんな音が彼の心の中にあったのでしょう。

彼は、尊敬するベートーヴェンの初期のピアノソナタには特に、弦楽四重奏の構想が強く見られる事をもちろん知っていたでしょう。そこからピアノ曲に弦楽器の暖かみが入っているのかもしれません。

最終変奏にはやっとはっきりとテーマが表れますが、そこに辿り着いたときにはまるで人生を一周したかのような、年老いた老人が思い残すことはないと満足しきったかのような、そんな様子さえ感じます。
知名度は劣ったとしても、ブラームスの珠玉の名曲に数えられると私は思っています。

・J.ブラームス 幻想曲集 作品116

この作品116は、ブラームスのピアノ曲でずっと挑戦したい曲の一つでした。
同じく最晩年の名曲、作品118とどちらを演奏するかは大変迷いましたが、今回は116を選びました。
演奏するサロンとの相性や、私のやりたいという思い、他の曲との兼ね合いでこちらの方が良いと思ったからです。

エネルギーに満ち溢れた楽章と、静かで達観したような楽章とが組み合わさってできています。
7曲からなっていますが、通したときに色々な場面を見せてくれる劇を見終わったような気持ちにさせてくれます。

創作主題による変奏曲では弦楽器のようだと書きましたが、この曲はまさにピアノのために書かれているなと感じます。
ピアノがよく鳴るように、ピアノで弾いたとき魅力的に聞こえるよう書いてあると思います。

ブラームスは「もうピアノ曲に書き残したものはもうない」と語った後10年以上ピアノ曲を書かず、突然この曲集を書き上げたといいます。
そして作品116から4曲は全てピアノの曲集です。
何が彼を突き動かしたのか。明確な答えはありませんが、この曲を聞いているとこれだけのものをまだ隠し持っていたのかと思わされます。

3曲目の冒頭で印象的に出てくる下降音型がこの曲を全体的に支配しているように感じます。
第1曲も十分印象的なのですが、3曲目でより主張がありつつ、7曲目で爆発する、その内容でまとめあげるのは流石の技術だと思っています。

余談ですが、私の同級生で同門の男の子がいまして、女性だらけだった門下生の中で男二人だったので彼と切磋琢磨しながら学校生活を過ごしました。
彼はすごく音楽的な心を持った学生で、いつもブラームスやシューマンなどドイツロマン派の曲を魅力的に弾いていました。
対して私は弾けはするものの…という学生で、リストやラフマニノフを弾く中、彼のような「味」は出せないなと思っていました。
この116はそんな彼が弾いていた印象が非常に強く、未だに思い出します。

当時はなんとなく同じ曲をやらないようにお互いしていたようで(笑)
私がブラームスをやり始めたのは大学3年生くらいになってからでした。
今なら自分も前より少しは魅力的に弾けるかなーと勇気を持って選曲しました。
彼のレッスンや演奏を聞くことも多かったので、何か少しでも吸収できていればいいなと思っています。

・M.ラヴェル ソナチネ

プログラムの選曲に当たって、まずやりたいと思っていたのがこの曲です。

ソナチネというと、子どもやピアノを始めて間もない方が取り組む曲、というイメージがある方も多いかと思います。
クーラウやクレメンティのものなど、思い出深い方もいらっしゃるでしょうか。

言葉の意味自体は、ソナタに縮小辞がついたもので、小さいソナタというような意味です。
ソナタほどの大きさではないものの同じような構造で作曲されており、ソナタに挑戦する前にこれで構成や演奏法を学ぼう、という形で勉強する方が多いかと思います。

しかしこの作品は全くそんな、ただの少し小さいソナタなんてことはなく非常に緻密に書かれ、そして非常に高い難易度に仕上がっています。

ラヴェル作品全般に感じるのですが、余分なものを排除しているように思います。
モーツァルトやベートーヴェン達とは時代背景も変わりましたし、作品のあり方や聴衆の耳も変わりました。
その時代と同じ構成で、彼の時代の音楽をやると少しクドいと感じたのでしょうか。

しかしラヴェルは構成美の世界を嫌っていたわけではなく、この時代のフランスの作曲家がピアノソナタをほとんど書いていない中、それが持て囃される時代ではなくなっているのにも関わらず、わざわざ「ソナチネ」という形式をタイトルに用いている。既にこれは彼の、古典派の作曲家へのリスペクトだと思います。
他にも「クープランの墓」を見るとバロック、主にJ.S.バッハを模すなど、新しい音使いをしつつ昔の形式で楽曲を書くスタイルで作られているなど、古典への尊敬が表れています。

そんな中で最初の4度下降のテーマ、このテーマが全楽章通して現れるのですが、彼の書いた歌劇「子供と魔法」で印象的に出てくる、主人公の母親のテーマも同じく完全4度下降です。
書かれたのはソナチネが先で、20年程経ってオペラが書かれますが、初心を思い出して書いたのでしょうか。

同じテーマを違う雰囲気で登場させるラヴェルの真骨頂がこのソナチネに表れていると思います。
二楽章のテンポが落ちるところ、両手で違うテーマを奏し、そのあと切れ目なく最初のテーマに戻りますが、左手は中間部を引きずったまま戻ります。「クープランの墓」の「メヌエット」にも同じような手法が使われており、個人的にはそこが絶品ポイント。
美しく演奏できるよう、全力を尽くします。

・M.ラヴェル 水の戯れ

水3部作といえばこの「水の戯れ」、後で演奏する夜のガスパールより「オンディーヌ」、そして本日は演奏しませんが、鏡より「洋上の小舟」。

オンディーヌには恋した人間への水の精の感情が、洋上の小舟には社会への皮肉が含まれているように感じますが、水の戯れには他の感情が含まれていないように感じています。
表面張力で丸く形作られた水滴、雫と雫が重なり合ったり、波紋が水面に広がったり、そんな水が反射する光のような鮮やかな和音と共に動きを見せてくれます。

ラヴェルは水を見た時ここまで視えているのかと。同じものを見ても凡人と天才では見ている景色が違うというのを痛感します。

昔自宅に「エコーオブフランス」というCDがあるのを見つけ、中学生ぐらいの時に、MDにダビングして外で聞いていたのですが、その中にこの水の戯れも含まれていました。

小さい頃に習っていた作曲の先生がラヴェルを愛していらっしゃったのは覚えていましたが、当時の何も考えていない私は良さに気付かず、しかしそのCDを聞き、その時からラヴェルにハマりだしました。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」や、この「水の戯れ」、それからドビュッシーの「小舟にて」など有名所が収録されていたのですが、未だにあのとき感じていたキラキラ感をふとした時に思い出すことがあります。

・M.ラヴェル 夜のガスパール

ラヴェルの一番の傑作はどれ?と言われると、正直選べず本当に頭を抱えますが、この「夜のガスパール」を出されると少なくとも否定はできません。
詩人ベルトランの同名の詩から発想を得て書き上げられた曲集ですが、詩を描写したのではない、とラヴェルは述べています。

有名な逸話として、作曲された当時最難曲と言われていたバラキレフ作曲の「イスラメイ」を越える曲を書いたと言われています。
技術的にはどちらも超難曲には変わりありませんが、こちらの曲は音楽的にも非常に深く作られており、イスラメイとは在り方が全く違うものだと思っています。(イスラメイはイスラメイで好きです。)

有名な詩人ではないベルトランですが、そのような人の詩を用いるところがまたラヴェルらしいです。
例えばラヴェルが書き上げた歌曲「シェエラザード」の歌詞は、トリスタン・クリングゾールという詩人が書いていますが、それは彼らのグループ、「アパッシュ」(チンピラやゴロツキの意)に属するメンバーでした。

3曲目の「スカルボ」がよく難曲として取り上げられますが、「オンディーヌ」もかなりの技術を必要とします。
また絞首台も一つ一つの音を繊細に、そして各和音が求める響きにする必要があるため、非常に高い集中力を求められます。

この曲とは、大学入学時くらいからずっと音楽生活を共にしてきたのですが、演奏する度に自分の演奏技術の未熟さ、また新たに突き詰められる箇所を発見します。つまり私はこの曲に成長させてもらったとも言えるかもしれません。
本日までに積み上げたものを演奏に込め、曲の魅力を十分にお伝えできるよう、全力を尽くします。

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